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黒曜石の「力 Power」について。

 

「石のPower」とか「石のチカラ」などという場合、酒やクスリに依存するように「石」にすがりつくことは、大自然からの贈り物である「石」に対して冒涜というものではないだろうか。

自らも大自然の一部として、この世界で自立し、自分の足で立って独りになれたとき、「石」はこの上なく誠実な「パートナー」となるように思う。

太古の昔から「石」に「チカラ」を見出したのは、日々、生きるための脅威や苦難と真摯に向き合い、逃げずに戦ってきた、そんな人々だったはずである。地に足をつけて生きていく中で、「石」を友とし、相棒としてきたのであって、その逆ではない。

長い歴史において、戦う人々が実感してきた「石」の「チカラ」は、何かと苦難の多い現代では「効果」とか「効能」という「知識」として、実に都合のよい現実逃避の具として利用されることが、実際には少なくないかもしれない。

だが、いまのような苦難の時期だからこそ、あらためて「石」のチカラについてまとめたいと思う。

この苦難を乗り切り、生き残り、生まれ変わるための戦いを、臆することなく実行する人々のために。

この時代を生き抜くために、真っ先に思い浮かぶのは、黒曜石である。

当サイトは「黒曜石専門サイト」であるから、黒曜石のチカラについてまとめてみたい。

黒曜石(オブシディアン)という石は、古来、矢じりや刃物として、つまり外的脅威から身を守るための武器として用いられてきた。

それに加えて、この石の神秘的な姿、漆黒に耀く姿が、単なる現世的な武器にはとどまらない、超越的なチカラを連想させてきたのだ。


この威容、何か神秘的なチカラを感じずにはいられない。通常、「石」の多くが連想させる包容力とか表面的な優しさのようなイメージとは完全に一線を画した「鋭さ」がまず突きつけられる。

割った瞬間に断面が鋭く、そのまま刃物として使えるのだが、それは現世の物を切るだけではなく、目にみえぬ恐怖や不安、心を惑わせるものなどを断ち切るイメージを与えてくれる。

まさに「幽と顕」の話である。


黒曜石のいわゆる「効能」(もちろん医学的な効能を保証するものではありません)を表す言葉としては、主に次のようなものが知られている。

招聘と拒絶の磁力、水と大地の浄化力、分水嶺、魂の錨、鎮魂(たましずめ)、偶然と必然、羅針盤、変革の力、災厄を遠ざける、神々との交信、開眼、地脈を視る、成功ルート、有効な場所と経路、発掘、多様性、先駆者、交易、トッププレイヤー、有利な取引、最適な需要と供給、思惑の庭、歴史を変える、シークレット情報……。

もう少し「現世利益」的な具体的な表現をすると、こうなる。

すなわち、このような「効果」を求める人にふさわしいとされる。

・自らが運気を呼び、魔を弾く磁力となる人に
・変革のエネルギーで、時代の先駆者になる
・魂の錨をおろし、悟りの時を迎える
・幽体をあるべき場所に戻す
・神々も人も、良きものだけを招く
・水と大地による浄化と癒しを得たい
・高次との交信を活発にしたい
・あらゆる災厄を遠ざけたい
・勇者と賢者のみを味方につけたい
・輝く未来へ繋がる成功ルートを辿る
・多様性のある価値や世界を生み出したい
・新世界をつくる担い手に
・交易や交渉を有利に進めたい
・株や投資などで資金を増やしたい
・上流階級に共有される情報や富を得たい

一言でいうなら、「魔除け」であり、人生を生きるために障害となるもの、より高次の認識に辿り着くことを阻むものを断ち切って退け、周囲を浄化する手助けをするもの、ということになるだろうか。

この強力な印象のためか、古代では、神鏡として用いられることもあった。

我が家にも神棚があるが、この神鏡……実に魅力的である。

また、文鎮などの加工品も存在する。


書には、文字による情報の記録、意思疎通、事項の伝達などのほかに、言霊を形にするという意味もある。そんなときには、こんな文鎮はうってつけではないだろうか。

スピリチュアルなパワーストーンの世界では、原石は人の手で加工された石に比べ、波動が荒く、取り扱いに注意を要するとされるようだが、黒曜石の場合、逆に原石の状態でもあまりその類の懸念はないように感じられる。原石状態でも、実に安定しているというのか、理性的というのか、波動が散乱せず一方向性が保たれているように感じられる。

……などと書くと、何の根拠もない勝手な印象論のようだが、そもそもスピリチュアルというものは、多分に感覚的なものである。人によって受け取り方はさまざまであろうし、科学的・客観的なデータではもちろんない。というより、それはあり得ない。

「石」との関係は、結局は、一人一人の感じ方によって異なるし、だからこそ面白いのではないだろうか。

このリクツ抜きの美しさに感動できるなら、そこから自分の意味を見出せばよいのである。

 


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