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黒曜石の主要産地

黒曜石ファンならご承知の通り、黒曜石は火山活動によって生み出された天然ガラスである。したがって火山列島である日本では、北海道から九州までに至る各地で黒曜石が産出する。2020年6月現在で、その産地は200カ所を超えるといわれているが、縄文の昔から人々が好んで用いた黒曜石は均質で不純物を含まない上質のものであり、そのニーズは現代でも基本的に変わりはない。上質な黒曜石の産地となると、一気にしぼられてくる。おそらくは次の6カ所といっても異論はないのではないだろうか。


◆北海道・白滝

◆長野県・霧ヶ峰

◆東京都・神津島

◆島根県・隠岐島

◆佐賀県・腰岳

◆大分県・姫島


いずれ見劣りせぬ、優劣つけがたい産地である……というより、そもそも地球からの恵みである石に我々人間ごときが優劣をつけること自体、失礼な話である。人の性として、自分の愛するものに夢中になるあまりに他のものを軽んずるということがあるが、当サイトではその姿勢はご法度とさせていただく。私も、縁あって自分のところに来てくれた石たちを愛してやまないので、その話になるとついアツくなってしまうが、どうか笑ってお許しいただきたい……。

 

◆北海道・白滝 ~日本最大の黒曜石産地~

 

その黒曜石埋蔵量は、数億~数十億トンともいわれ、まさに日本最大級の原産地といってよい。

白滝産黒曜石は、約220万年前に幌加湧別カルデラ内で噴出した流紋岩マグマが急速に冷えて生成されたと考えられている。

この一帯では、黒曜石は「十勝石」とも呼ばれるが、大量に黒曜石が発掘された白滝遺跡群は、とにかくその量も大きさも文字通り「規格外」といえる。それは人頭大のものが多くみられ、中には人体に匹敵するようなものも珍しくない。石器も大型のものが多く、30cmを超える巨大な尖頭器や50cm近くもある長大な石刃が見つかっている。その理由としては、この地の古代人たちがマンモスなどを相手にした大型獣狩猟者(ビッグゲームハンター)だったためという説もある。

北海道は、周知の通り、明治になるまではアイヌ民族の土地であり、彼らは縄文人とのかかわりも強い、大自然への畏敬が深い民だったことから、黒曜石も「ヒトの手垢にまみれていない」ような、どこか清純なイメージがある。

個人的なことだが、私は北海道小樽出身のためもあって、この地がまだまだ人間の傲慢による支配を寄せつけない強大さと、小賢しい人間さえをも包み込む寛容さを保っていることが、皮膚感覚で感じられる。これは、北海道に生まれ育った者独特の感覚かもしれない。

ご縁あって、十勝に住む黒曜石職人の方と知己を得、その作品を購入させていただいたが、非常に質のよい黒曜石(十勝石)であることを実感した。

目の肥えた黒曜石ファンの期待を裏切らない石質と、職人技が、この地にはあると考える。

 

◆長野県・霧ヶ峰 ~縄文の息吹~

 

標高1,300mを超える高標高山岳地帯に、日本を代表する黒曜石原産地が存在する。

中でも霧ヶ峰地域には、縄文人によって穿たれた黒曜石採掘の痕跡が鮮明に残されている。

この地での最初の採掘活動は、少なくとも縄文時代早期(約12,000年前~7,000年前)とされ、その後4,000年ほど採掘は途絶える。採掘が再開されたのは縄文時代後期(約4,500年前~3,300年前)といわれている。

縄文人たちによって採掘された黒曜石は、大きさや質といった「品質管理」が行われ、その背後には、黒曜石の流通を統括する交易集団がいたという説もある。信州の山奥に開かれた縄文の黒曜石鉱山は、黒曜石を求めて各地からやってきた人々で大いに賑わっていた可能性があるという。

信州系縄文黒曜石で最大級のものは、清水田遺跡から発掘された縄文時代前期の大型原石で、重量は約6.5kg。これは単なる石器の材料ではなく、所有することによって権威を象徴する「威信財」であったと考えられている。

 

 

◆東京都・神津島 ~海の民の黒曜石~

 

神津島は、伊豆半島から約54km離れた沖合の島で、神津島本島とそこから約6km南西に位置する恩馳島(おんばせじま)からなる。本当にも黒曜石原産地はあるが、その質からいって恩馳島のものが良質であり、神津島産といわれる黒曜石の大半は、恩馳島産である。

神津島産黒曜石の利用は、旧石器時代初頭までさかのぼる。現在、神津島周辺の海域は、海深200m以上あり、氷期にあっても本土と陸続きではなかった。したがって、神津島の黒曜石を手に入れるためには、黒潮分流の横切る海域を越える必要があった。

縄文時代に入ると、「神津島産黒曜石の陸揚げ地」と称される見高段間(みたかだんま)遺跡が形成される。

この遺跡は、伊豆半島の南東側に位置し、神津島産黒曜石流通の拠点であったと考えられている。神津島産黒曜石は、いったん見高段間遺跡に陸揚げされたのちに、「見高段間ブランド」として伊豆や南関東を中心に運び出された。最盛期には北茨城から静岡県西部にまで達したという。

恩馳島黒曜石の特徴としては、「海底から採取された黒曜石」である点であろうか。

恩馳島周囲の深さ5m~10mの海底には、多数の黒曜石岩塊が認められ、その中には直径1m、重量100kgを超えるものも存在するという。このことから、海底には黒曜石質溶岩の大露頭が露出していると考えられる。

この地の黒曜石は、その大半は、深い黒色で、非常に明瞭なるガラス光沢をもつのが特徴である。

神津島は、その名が示す通り、「神の島」(津は、国津神が国の神、というように「の」という意味を持つ)であるが、その由来は、伊豆の島々をつくるために神々が集まったことだという。古くは「神集島」とも称された。

この島名の神秘性もあり、神津島産の黒曜石は、パワーストーンファンにも非常に人気が高い。

石には、神が宿るということなのだろう。

 

 

◆島根県・隠岐島 ~神の都・出雲の御膝元~

 

隠岐島は、隠岐諸島ともいわれ、島前と島後からなる。中国地方では唯一の黒曜石原産地であり、この島で採掘された黒曜石は神鏡として加工され、出雲大社にも納められたという。

隠岐の黒曜石は、島後で起きた流紋岩マグマの火山活動によって生成されたといわれ、およそ550万年前のことであった。

隠岐では、おもに島後の北西から南東にかけて分布する重栖層(おもすそう)に含まれ、現在まで20カ所以上の地点で見つかっている。分布としては、北部の久見地域、南西部の加茂地域、南東部の津井地域に分けられる。

隠岐の黒曜石は、基本的には黒色でガラス質のものが多く採取されるが、細かくみると地域ごとに異なった特徴がある。

最も上質といわれるのは久見地域のものである。不純物をほとんど含まず、表面に薄く縞が入るというのが特徴である。他の地域に比べ大ぶりなものが多く、時には人体ほどの大きさの原石が見つかることもある。現代でも、工芸品の原料として採掘が行われている。

隠岐でもっとも古い資料としては、島後の東船遺跡や島前の美田小向遺跡で出土した黒曜石製の台形様石器で、約30,000年以前の旧石器時代前半に位置づけられる。

続く縄文時代には、豊富な黒曜石を用いて大量の石器が製作される。どの遺跡でも、とても一つの集団では消費しきれないほどの量が出土している。島前と島後の間で頻繁に黒曜石流通が行われていたと考えられている。また、出雲本土からも隠岐産黒曜石が多数見つかっていることから、海を経て隠岐産黒曜石が流通していたことがうかがえる。中国地方では、きわめて上質な隠岐産黒曜石を求め、東北地方から技術者集団が移動し植民してた形跡がある。この技術者集団が、隠岐産黒曜石の加工に大いに貢献したのである。隠岐産黒曜石は、当時の大都市出雲に流れ、そこで高度な技術によってさまざまな形に加工され用いられたのである。このことは、現代にもつながっており、出雲では黒曜石を使った勾玉やブレスレットなどの美しい加工品が熟練した職人によって作られ続けている。

個人的なことであるが、私の祖先が出雲・隠岐に縁があることから、私が現在メインで使用している黒曜石は、隠岐産である。「顕」の世界を治めた大和に対し、出雲は「幽」の世界を治めた国とされるが、ラフカディオ・ハーンが「神の都」と呼んだ「幽の国」出雲の力が、隠岐産黒曜石からはひしひしと感じられる。まさに、古代日本の息吹を伝える、この国の思想史を代表する黒曜石といってよいだろう。

 

 

 

◆佐賀県・腰岳 ~縄文の洗練技術~

 

腰岳は、九州北西部・伊万里湾に面した標高488mの山で、地元では「伊万里富士」「松浦富士」などの愛称で親しまれている。

腰岳産の黒曜石は流通範囲が広く、九州全般はもとより琉球列島や朝鮮半島南部にまで達している。

この地では、縄文時代後晩期に、鈴桶技法といわれる特殊な加工技術が盛行した。それは、主に腰岳産黒曜石を素材とした、極薄の石刃を連続的に生産できる技術である。

その洗練された剥離技術は、まさしく職人芸といって過言ではなく、この技法によって製作された石刃は、原石などとともに九州一帯に流通し、剥片鏃や削器の素材として重用された。このあたり一帯には、専業的職人集団による集中的な石器生産が行われていたと想定されている。

腰岳は、まさに縄文の職人の山といってよいだろう。

 

 

◆大分県・姫島 ~“白い”黒曜石??~

 

大分県・姫島は、国東半島の沖合4kmに浮かぶ小島である。

島の北西部にある観音崎には、幅およそ120m、高さおよそ40mにおよぶ国内最大の黒曜石露頭が存在するが、その最大の特徴は、「黒曜石」といいながら、表面が灰色~乳白色ということである。

姫島産の黒曜石利用は、旧石器時代に始まるが、その頃はまだ利用量は少なかった。急激に量と流通が拡大したのは縄文時代からであった。全般にいえることだが、縄文時代は歴史上、もっとも黒曜石が多用された時代といってよいかもしれない。

ともあれ、姫島産黒曜石は、ほぼすべてがこの独特の白色というのが特色であり、この特色が求められて、九州一帯および中国地方にまで広く流通されたのである。

 

 

 

 


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